2011年11月、兵庫県尼崎市の貸倉庫で、一人の女性の遺体が発見された。
この発見をきっかけに明らかになっていったのが、後に「尼崎連続変死事件」と呼ばれる一連の事件である。
捜査が進むにつれ、角田美代子の周辺では、複数の家族にまたがって不審死や行方不明が相次いでいたことが明らかになっていった。最終的に、男女8人の死亡が確認されている。
事件をさらに複雑にしているのは、血縁だけでは説明できない人間関係が作られ、その中で暴力や恐怖による支配が広がっていったことである。事件では複数の家族が崩壊・離散し、美代子と養子縁組や結婚によってつながった人物の中からも、事件の犠牲者や共犯者が生まれたと報じられている。
なぜ、これほど多くの人が一つの人間関係の中に取り込まれていったのか。
そして、家族同士の関係はどのように壊され、支配する側と支配される側の境界が曖昧になっていったのか。
この記事では、角田美代子本人について裁判で事実認定が行われなかった点にも注意しながら、親族らの裁判や事件を継続取材した報道など、出所を確認できる資料を中心に事件の経緯をたどる。
そのうえで、尼崎連続変死事件にみられた「家族を取り込む支配の構造」について考えていきたい。
尼崎連続変死事件とは
尼崎連続変死事件とは、兵庫県尼崎市を中心に、角田美代子の周辺で複数の人物が死亡し、親族らが殺人や監禁などの罪に問われた一連の事件である。
事件が表面化するきっかけとなったのは、2011年11月。
尼崎市内の貸倉庫で、大江和子さんの遺体が発見された。
この事件を端緒に捜査が進められた結果、美代子の周辺では複数の不審死や行方不明が起きていたことが明らかになっていく。
兵庫県警は、美代子の周辺で男女8人の死亡を確認した。
その後、美代子の親族らに対する裁判が行われ、殺人、監禁、死体遺棄など複数の事件について審理された。
裁判では、美代子と長期間生活をともにしていた人物だけでなく、もともとは別の家族に属していた人物も事件に関与していたことが明らかになった。
たとえば仲島康司の裁判では、裁判所は康司が「従属的な立場」にあったことを認めながらも、美代子らとの共謀を認定している。
また、角田瑠衣についても、17歳で角田家に取り込まれた影響が認められた一方、犯行時には自らの判断で追従した面もあったとして、美代子との共謀が認定された。
つまりこの事件では、単に一人の人物が複数の被害者に危害を加えたというだけではない。
異なる家族の人々が一つの集団へ取り込まれ、その中で一部の人物が別の人物への加害にも関与していくという、非常に複雑な人間関係が形成されていた。
そして、その中心人物とされたのが角田美代子だった。
しかし、美代子は2012年12月、兵庫県警本部の留置場で死亡した。
そのため、美代子本人について一連の事件の刑事裁判が最後まで行われることはなかった。
だからこそ、この先の記事でも、美代子本人について報道・捜査で明らかになったことと、親族らの裁判で認定された事実を区別しながら見ていく必要がある。
角田美代子とはどのような人物だったのか
尼崎連続変死事件の中心人物とされた角田美代子。
しかし、事件後に広く知られるようになった「複数の家族を支配した人物」という姿だけを見ても、なぜ多くの人が美代子を中心とする人間関係に取り込まれていったのかは分からない。
まず確認しておきたいのは、美代子の生い立ちについて、信頼できる資料から確認できる情報は限られているということである。
美代子と長年接見した主任弁護士も、詳しい生い立ちまでは聞くことができず、その実像は分からないと振り返っている。
一方、その後に行われた親族らの裁判では、美代子と長期間生活した人物たちの証言から、集団の中で美代子がどのような存在だったのかが少しずつ語られている。
周囲から語られた角田美代子
美代子の義妹である角田三枝子は、裁判で、幼いころから美代子を知っていたと証言している。
三枝子によれば、出会ったころの美代子は「気の強い人」という印象だったという。
しかし、ここで注意したい。
幼いころから気が強かったという証言と、後に起きた事件を直接結びつけることはできない。
性格の一部分だけを取り出して、「だから後に人を支配するようになった」と説明するのは根拠がないからだ。
事件を考えるうえでより重要なのは、その後、美代子を中心とする集団の中でどのような人間関係が実際に作られていたのかである。
「絶対的で逆らえない」存在になっていった
親族らの裁判で繰り返し浮かび上がったのは、美代子が集団の中で強い影響力を持っていたという姿だった。
仲島康司は被告人質問で、美代子について、逆らうことができず、何をされるか分からない怖さを感じる存在だったという趣旨の証言をしている。
また、別の裁判では、弁護側が当時の集団について、美代子が他人の意見を聞かず生活を管理し、離れた人物を連れ戻そうとするなどして、一極的な支配を築いていたと主張した。
一方、検察側は、美代子を頂点として、その下に長期間生活をともにした人物らが位置する「ピラミッド型」の構造だったと説明している。
ここで重要なのは、これは単純に「美代子が怖かった」という話だけではないことである。
美代子を中心に「家族」が作られていった
美代子の周囲には、血縁関係のある人物だけが集まっていたわけではなかった。
血縁のない人物と養子縁組をしたり、同居したりすることで、美代子を中心とする独特な「家族」が形成されていった。兵庫県警の捜査でも、美代子が血縁のない男女と養子縁組しながら共同生活を送っていたことが確認されている。
裁判で角田瑠衣が語った美代子の「理想の家族像」も興味深い。
その証言によれば、美代子が求めていたのは、自分を慕い、頼り、何があってもついてくるような家族だったという。
もちろん、これは瑠衣の法廷証言から見た美代子像であり、美代子本人が裁判で説明したものではない。
それでも、後に明らかになる共同生活のあり方を考えるうえでは重要な証言である。
美代子を中心に人が集まり、「家族」と呼ばれる関係が作られる。
そして、その関係から離れようとする人物を簡単には離さない。
こうした関係が、後に複数の家族へと広がっていくことになる。
生い立ちだけで事件を説明することはできない
事件を知ると、
「角田美代子は、もともとどんな人間だったのか」
という疑問を持つのは自然だと思う。
しかし、現時点で確認できる資料だけから、美代子の幼少期や家庭環境に事件の原因を求めることはできない。
むしろ、この事件で詳しく見るべきなのは、美代子の性格を推測することではなく、
一人の人物を中心に、血縁を越えた「家族」が作られ、その中で逆らいにくい関係がどのように形成されていったのか。
という部分ではないだろうか。
そしてここから、尼崎連続変死事件の最大の特徴ともいえる、別の家族への介入が始まっていく。
家族はどのように取り込まれていったのか
尼崎連続変死事件を理解するうえで、大きな疑問がある。
なぜ、もともとは別々に暮らしていた人々が、角田美代子を中心とする集団の中へ取り込まれていったのか。
後に行われた親族らの裁判では、美代子を頂点とする人間関係について、検察側が「ピラミッド型」の構造だったと説明している。
一方、弁護側からは、美代子が生活を管理し、離れた人物を連れ戻そうとするなど、一極的な支配関係があったとの主張もなされた。
ただし、ここで注意したいのは、
最初から全員が同じ立場で支配されていたわけではない。
美代子との関係も、そこへ至る経緯も、人によって異なっていた。
血縁を越えて「角田家」の一員になっていく
美代子の周囲にいたのは、実の親族だけではない。
養子、内縁関係、結婚などによって、もともとは別の家族に属していた人々も「角田家」の中へ入っていった。
その一人が、後に美代子の義理の娘となる角田瑠衣だった。
瑠衣について神戸地裁は、17歳のときに角田家の一員に取り込まれ、その影響を受けたことを認めている。
しかし同時に、事件への関与については「自分の判断で追従した面も小さくない」として、美代子との共謀を認定した。
ここに、この事件の非常に複雑な部分がある。
ある時点では取り込まれた側だった人物が、後には集団の一員として別の人物への加害にも関与していく。
単純な「支配者と被害者」という二つの立場だけでは説明できない関係が形成されていた。
「従えば自分は安全」という関係
美代子の周囲にいた人物が、なぜそこから離れなかったのか。
その一端を示す証言も裁判で出ている。
美代子の養子だった角田健太郎について情状鑑定を行った臨床心理士は、健太郎が美代子との生活にストレスを感じながらも、美代子から認められている限り、自分の立場は安全だという感覚も持っていたと分析した。
さらに、角田家から逃げた人物がその後虐待される場面を何度も目撃した経験などから、逃げようとする意欲を失い、自分への被害を少なくするために美代子の指示に従うようになったとの見方を示している。
これは重要な点だと思う。
外から見れば、
「嫌なら逃げればいい」
と思うかもしれない。
しかし、逃げた人間がどう扱われるのかを身近で見続けていれば、「逃げる」という選択そのものに強い恐怖を感じるようになることは考えられる。
さらに、
「逆らえば自分が標的になるかもしれない」
「従っている間は自分は安全かもしれない」
という関係が作られれば、集団の中にとどまること自体が、自分を守るための行動になっていく可能性もある。
支配されていたことと、責任がないことは同じではない
ただし、ここも慎重に考える必要がある。
美代子の強い影響下にあったからといって、その後の行為について刑事責任がなくなるわけではない。
仲島康司について神戸地裁は、美代子らとの関係では「従属的な立場」だったことを認めながらも、「角田家の一員として犯行の一端を担った」として、起訴されたすべての罪について美代子らとの共謀を認定した。
瑠衣についても同じである。
17歳で角田家に取り込まれた影響は量刑上考慮されたが、裁判所はその後の行為について本人の判断が存在したことも認め、共犯として刑事責任を負わせている。
つまり、
「支配されていた」ことと「自分の行為について責任がない」ことは同じではない。
この二つを分けて考える必要がある。
「家族」が支配の中に組み込まれていく
尼崎連続変死事件で特徴的なのは、支配が一対一の関係だけで完結していないことである。
美代子を中心に共同生活を送る人々が存在し、その中には美代子に長期間従っていた人物もいれば、後から取り込まれた人物もいた。
そして裁判では、その一部が美代子の指示に従うだけではなく、別の人物への監禁や殺害などにも関与していたことが認定された。
角田優太郎についても神戸地裁は、起訴された5事件すべてで美代子らとの共謀を認定し、「角田家の犯罪に角田家の一員として関わった」と判断している。
こうして見ると、この事件の異様さは「一人の強い人物に周囲が従っていた」というだけでは説明しきれない。
美代子を中心とする独自の人間関係が作られ、その内部で「従う側」だった人物が、別の人物に対しては「加害する側」にもなっていった。
その構造こそが、この事件を理解するための重要な部分ではないだろうか。
家族関係はどのように壊されていったのか
尼崎連続変死事件では、「家族が乗っ取られた」という表現が使われることがある。
実際、事件を長く取材した神戸新聞は、事件によって四つの家族が崩壊・離散したと振り返っている。美代子の周囲では、もともと別の家族に属していた人物が養子縁組や結婚などによって、美代子を中心とする集団へ取り込まれていった。
では、一つの家族はどのようにしてその状態に至ったのか。
その過程を比較的詳しく追うことができるのが、皆吉初代さんの家族である。
きっかけは、一人の親族を預かったことだった
裁判での角田瑠衣の証言によると、2003年2月ごろ、美代子の義理のいとこにあたる李正則が、高松市で暮らしていた皆吉家にやって来た。
李は家の中で大声を出したり、物に当たったりするほか、初代さんに高価な物を買わせるなどしていたという。
対応に困った初代さんは、美代子に連絡し、李を引き取ってほしいと頼んだ。
ところが、その後、美代子自身が皆吉家へやって来ることになる。
ここが、家族の状況が大きく変わっていく入口だった。
家族の問題に介入し、身内同士を対立させていく
瑠衣の法廷証言によると、美代子は親族を集めて連日のように「家族会議」をさせ、初代さんに対する暴力を身内に促したという。
さらに、初代さんの夫に離婚を強く勧めていたことも証言されている。
そして特に重いのが、娘だった瑠衣自身の立場が変化していったことである。
瑠衣は法廷で、当初は「皆吉家側」にいたものの、その後は「角田家側」にいたと証言している。
美代子から、話し合いの場で母親に腹が立たないのかという趣旨の言葉を掛けられるうちに、瑠衣自身も母親へ暴力を振るうようになったと説明している。
つまり、外部の人物が家族に暴力を加えるだけではなかった。
それまで家族だった人間同士が、互いに傷つける関係へと変化していった。
ここに、この事件の支配構造の大きな特徴が見えてくる。
「美代子対家族」ではなくなっていく
もし美代子一人と家族全員が対立していたのであれば、家族が結束して抵抗する余地は残っていたかもしれない。
しかし実際には、家族内部の関係そのものが変化していった。
娘が母親への暴力に加わり、親族もまた家族への加害に関与する。
神戸新聞は事件全体について、家族が反目させられ、崩壊・離散していったと整理している。
これは単に、
「怖い人物に逆らえなかった」
というだけでは説明しきれない。
もともと自分を支えていたはずの家族との関係まで壊れていけば、助けを求められる相手そのものが失われていくからである。
逃げても、関係は終わらなかった
初代さんは2003年8月、美代子らのもとから逃れた。
しかし、それで支配関係が完全に終わったわけではなかった。
裁判での瑠衣の証言によれば、美代子らはその後、初代さんの居場所を突き止めた。
そして2007年12月、初代さんが働いていた和歌山県内のホテルへ、美代子や優太郎ら複数人が向かった。
瑠衣は、母親が美代子の姿を見た瞬間に表情を変えたことや、その後、初代さんが仕事を辞めて再び美代子らと暮らすことになった経緯を証言している。
後の優太郎の裁判でも、この行為は事件の一つとして審理され、優太郎について美代子らとの共謀が認定された。
ここから分かるのは、
「物理的にその場から逃げること」と「支配関係から完全に抜け出すこと」は、必ずしも同じではなかった
ということである。
家族の一部が「角田家」の一員になっていく
さらに複雑なのは、皆吉家の全員が同じ立場のままだったわけではないことである。
次女の瑠衣は17歳で角田家の一員に取り込まれ、後には美代子の次男・優太郎と結婚した。
そして後の事件では、自身も複数の犯罪に関与することになる。
神戸地裁は瑠衣に懲役23年を言い渡した際、17歳で角田家に取り込まれた影響を認めながらも、犯行時には自分の判断で追従した面も小さくないとして、美代子との共謀を認定した。
ここでも、
「取り込まれた人」と「加害した人」が完全に別々だったわけではない。
ある家族の一員だった人物が、美代子を中心とする集団へ入り、その後は別の人物に対する加害にも関与していく。
その複雑な立場こそ、この事件を単純な「洗脳」という言葉だけで説明することを難しくしている。
「家族乗っ取り」という言葉の中で、実際には何が起きていたのか
「家族乗っ取り」と聞くと、ある日突然、外部の人間が家庭を奪ったような印象を受ける。
しかし、皆吉家について裁判で語られた経緯を見ると、実際にはもっと段階的だった。
一人の人物とのトラブルをきっかけに美代子が家庭へ入り、家族の問題に介入する。
家族会議が繰り返され、身内同士が対立する。
家族の一部が別の家族への加害に関与し、やがて美代子を中心とする集団の側へ入っていく。
そして、一度逃げた人物まで再び連れ戻される。
もちろん、すべての被害家族がまったく同じ経過をたどったわけではない。
それでも皆吉家の経緯からは、美代子による支配が単純な暴力だけではなく、家族関係そのものへ介入し、人間関係を組み替えていく形で進んでいた一例を見ることができる。
なぜ家族同士で暴力を振るうようになったのか
尼崎連続変死事件を知ると、理解しにくいことがある。
なぜ、もともとは家族だった人たちが、互いに暴力を振るうようになったのか。
皆吉家では、母親だった初代さんに対して、親族だけでなく娘の瑠衣まで暴力に加わっていった。
後には、姉の仲島茉莉子さんも監禁され、瑠衣を含む美代子の周囲の人物たちが事件に関与することになる。
しかし、その過程を裁判で語られた証言から追っていくと、単純な「家族への憎しみ」だけでは説明できない関係が見えてくる。
美代子の怒りに「合わせる」
美代子の義理のいとこだった李正則は、裁判で非常に印象的な供述をしている。
李によれば、茉莉子さん自身に腹を立てて暴力を振るったわけではなかったという。
一方、美代子や周囲の人物が茉莉子さんに怒っていると、自分もそれに同調した。美代子の怒りが強ければ、それに合わせるように自分も暴力を加えたという趣旨の供述をしている。
もちろん、これは李本人が法廷で語った説明であり、そのまま客観的事実や免責理由として受け取ることはできない。
それでも、集団の中で暴力がどのように行われていたのかを考えるうえでは重要な証言である。
自分自身が相手を憎んでいるかどうかではなく、
「美代子が誰に怒っているのか」
が、その場での行動を左右する基準の一つになっていた可能性が見えてくる。
母親への暴力に娘まで加わっていった
皆吉初代さんへの虐待についても、同じような構図が語られている。
瑠衣の証言によれば、美代子は親族を集めて連日のように「家族会議」をさせ、その中で親族に初代さんへの暴力を促した。
初代さんは逃げ出すまで、ほぼ毎日のように暴力を受けていたと瑠衣は証言している。
そして瑠衣自身も、母親への暴力に加わるようになった。
ここで起きていたのは、美代子一人が初代さんを攻撃するという構図ではない。
家族や親族自身が、同じ家族の一人を攻撃する側へ回っていく。
その結果、被害を受ける人物から見れば、頼れるはずだった家族まで自分を傷つける存在になっていった。
「誰が標的になるか」が変わる環境
さらに重要なのが、角田家で暮らしていた人物たちの証言である。
瑠衣は後の裁判で、姉の茉莉子さんについて、自分の「身代わり」になってくれたという趣旨の言葉を述べている。
また別の場面では、美代子の怒りに合わせ、必要なときには自分も暴力を振るうつもりだったことを本人が説明している。
こうした証言を並べると、一つの特徴が見えてくる。
集団の中では、
「今日は誰が怒られているのか」
「自分は美代子からどう見られているのか」
ということが、その人自身の立場に関わっていたと考えられる。
前の章で触れた角田健太郎についての情状鑑定でも、美代子に認められている間は自分の立場が安全だという感覚を持っていたことや、逃げた人物が虐待される姿を見るうちに逃げる意欲を失っていった、という分析が法廷で示されている。
ここまでを見ると、暴力は単に相手を傷つける行為としてだけではなく、集団内部の関係を維持する一部にもなっていた可能性がある。
「加害する側」に回れば安全だったのか
ただし、
「自分が被害者にならないため、全員が暴力を振るっていた」
とまで断定することはできない。
それぞれの人物には異なる事情があり、裁判でも関与の程度や意思について争われている。
実際、瑠衣は母親が再び連れ戻される場面について、虐待されることを予想しながら、自分も行動に出るつもりだったことを認めている。検察側と弁護側では、その際の目的や責任について主張が対立した。
つまり、
「美代子に命令されたから仕方なくやった」
だけでは説明できない。
一方で、
「全員が自分の意思だけで積極的に加害していた」
と整理することも、この事件で語られた支配関係を見落とすことになる。
この二つを同時に見る必要がある。
被害者と加害者の境界が複雑になっていく
ここに、尼崎連続変死事件の非常に難しい部分がある。
美代子から強い影響を受けていた人物が、別の人物に対しては暴力を振るう。
家族だった人物が、別の家族を傷つける。
そして、ある人物が標的になっている間、別の人物は美代子に同調する側へ回る。
だからといって、加害行為の責任が消えるわけではない。
実際、その後の裁判では、それぞれの被告について美代子との関係や影響を考慮しながらも、具体的な行為や意思が個別に審理された。
支配されていた可能性と、他人を傷つけた責任は、どちらか一方だけを見ればいい問題ではない。
尼崎連続変死事件では、この二つが同じ人物の中に重なっていた。
そして、この構造を考えると次の疑問が出てくる。
なぜ、そこまで美代子に逆らうことが難しくなっていたのか。
なぜ角田美代子から逃げることが難しかったのか
尼崎連続変死事件について考えるとき、
「なぜ逃げなかったのか」
という疑問が浮かぶかもしれない。
しかし、裁判で明らかになった経緯をたどると、この問いは少し違って見えてくる。
実際には、逃げようとした人はいた。
問題は、逃げたあとも美代子との関係が終わらなかったことである。
実際に逃げた人はいた
皆吉初代さんは、美代子から虐待を受けていたとされる中、2003年8月に高松市から逃亡した。
ところが美代子はその後、初代さんの居場所を突き止める。
2007年12月、美代子らは初代さんが働いていた和歌山県内のホテルを訪れ、初代さんは再び美代子らと生活することになった。
娘の瑠衣は裁判で、初代さんが美代子の姿を見た瞬間に表情を変えたことや、当時の状況について「それ以外の選択肢はなかった」という趣旨の証言をしている。
さらに瑠衣は、逃げた人物が連れ戻され、その後虐待されることが角田家では繰り返されていたという趣旨の証言もしている。
初代さんだけではない。
仲島茉莉子さんと夫の康司も、2008年6月、美代子のもとから逃げて東京や沖縄へ向かった。
康司は後の裁判で、その理由について、尼崎での生活が嫌だったことに加え、茉莉子さんへの虐待が終わらなかったためだったと説明している。
しかし、二人も沖縄で美代子に発見され、尼崎へ連れ戻された。
その後、二人はマンションの物置に閉じ込められ、飲食や睡眠を制限されるなどの虐待を受けたことが裁判で語られている。
つまり、
「逃げなかった」のではない。
逃げても、再び連れ戻された人が実際にいた。
この事実は、事件を考えるうえで非常に重要である。
「逃げた後にどうなるか」を周囲も見ていた
さらに重要なのは、こうした出来事を他の同居者も知っていたことである。
角田健太郎について情状鑑定を行った臨床心理士は法廷で、健太郎が逃亡後に虐待される被害者を何度も目撃した経験から、角田家から逃げる意欲を失ったと分析している。
そして、自分への被害を最小限にするためには、美代子の指示に従うことが最善の選択になっていたとの見方を示した。
ここは「洗脳」という言葉を使わなくても説明できる。
逃げた人間が連れ戻され、その後どう扱われるのかを目の前で見る。
そうした経験が繰り返されれば、
「逃げても無駄なのではないか」
「逃げれば今よりひどい目に遭うのではないか」
という認識につながった可能性は考えられる。
ただし、これは全員について確認された心理状態ではない。
裁判で示された具体的な証言や情状鑑定から確認できる範囲で考える必要がある。
暴力だけではない「何をされるか分からない怖さ」
美代子への恐怖についても、複数の人物が裁判で語っている。
仲島康司は、美代子について、絶対的で逆らえず、何をされるか分からない怖さがあったという趣旨の供述をしている。
角田三枝子も、李正則が美代子に逆らえなかった理由について、自身の認識として、暴力や虐待だけでなく精神的に追い詰められることへの恐怖があったという趣旨の証言をしている。
三枝子自身もまた、美代子に意見することが難しい関係にあったことが公判で語られている。
もちろん、こうした発言は被告人や証人自身による説明である。
「怖かった」と語ったことだけで、その後の犯罪への関与が正当化されるわけではない。
実際、親族らの裁判では、美代子との関係や従属的な立場を考慮しながらも、それぞれの行為について刑事責任が認定されている。
集団の中には「安全な立場」と「標的になる立場」があった
さらに裁判では、美代子を中心とする集団内部に、立場の違いが存在していたことも明らかになっている。
親族らの証言をまとめた神戸新聞の裁判報道によれば、美代子を頂点とする序列があり、近親者などが優遇される一方、逃亡した人物などは立場が不安定になり、美代子の機嫌を損ねれば虐待の対象になったとされる。
そして、一度標的になると周囲から無視され、孤立する状況もあったと報じられている。検察側は、こうした構造を集団内のいじめに似たものとして説明していた。
ここで、先ほどの健太郎についての情状鑑定とつながる。
臨床心理士は、健太郎について、美代子との生活にストレスを感じる一方で、美代子から認められている限り自分の立場は安全だという感覚も持っていたと分析している。
つまり集団内部では、
美代子に逆らうことによって自分が標的になる可能性がある一方、従っている間は自分の立場を守れる。
少なくとも一部の人物については、そうした関係が形成されていたことが裁判からうかがえる。
夫婦の関係まで壊されていった
茉莉子さんと康司のケースでは、さらに複雑な状況があった。
二人は一緒に逃亡した夫婦だった。
しかし連れ戻された後、物置に閉じ込められ、互いの逃亡中の言動を美代子に告げ合ったり、命令によって殴り合ったりする状況になったことが裁判で語られている。
康司は後に、虐待への恐怖から美代子の顔色をうかがうようになり、茉莉子さんのことを考えなくなっていったという趣旨の説明をしている。
ここでも見えてくるのは、単純な物理的拘束だけではない。
一緒に逃げた二人の関係まで変化していった。
前の章で見た「家族関係の破壊」が、逃げることを難しくする要因とも重なっていたことが分かる。
「鍵が掛かっていたか」だけでは説明できない
もちろん、監禁された人物については物理的な拘束そのものが存在した。
しかし事件全体を見ると、それだけでは説明できない。
暴力を受ける恐怖。
逃げた人物が連れ戻される経験。
集団内部で標的になることへの恐れ。
美代子に認められている間は自分の立場が守られるという感覚。
そして、家族や夫婦といった、本来なら助け合うはずの人間関係そのものの変化。
こうした複数の要素が重なっていた。
だから、この事件について、
「逃げられる状況だったのに、なぜ逃げなかったのか」
と外側から単純に問うことには慎重であるべきだろう。
より重要なのは、
なぜ、逃げるという選択を取りにくい状態が作られていったのか。
という問いではないだろうか。
尼崎連続変死事件で裁判に現れた証言を追うと、そこには「洗脳」という一言では説明しきれない、恐怖、暴力、序列、孤立、そして人間関係の破壊が重なった支配の構造が見えてくる。
角田美代子はなぜ人を支配できたのか
ここまで事件をたどってくると、一つの疑問が残る。
角田美代子は、なぜこれほど多くの人間に影響を与え、複数の家族を巻き込む関係を作ることができたのか。
この問いに対して、「美代子には人を操る特別な能力があった」と考える必要はないだろう。
親族らの裁判で明らかになった事実や証言を追っていくと、そこには一つの特別な方法ではなく、いくつもの具体的な働きかけが重なっていたことが見えてくる。
① 家族の中に入り込み、人間関係そのものに介入する
皆吉家の場合、美代子との関係は、最初から監禁や殺人によって始まったわけではなかった。
皆吉初代さんが、手に負えなくなった親族について美代子へ連絡したことをきっかけに、美代子が皆吉家へ入っていった。
その後、美代子は親族を集めて「家族会議」を繰り返させ、初代さんへの暴力を身内に促したと、娘の瑠衣が法廷で証言している。
つまり美代子と被害者だけの関係ではなく、もともと存在していた家族関係そのものに介入していったのである。
② 家族同士を分断し、孤立させる
角田家で暮らしていた人物たちの間には、美代子を頂点とする序列が存在していたと親族らは証言している。
逃亡した人物などは「格下」のように扱われ、美代子の機嫌を損ねれば虐待の標的になったという。
さらに、いったん標的になると、周囲の人物までその人を無視するよう求められた。
標的となった人物に話しかければ、今度は話しかけた側が標的になることもあったとされ、検察側はこうした構造を集団内のいじめに似たものとして説明している。
ここで起きていたのは、単なる暴力だけではない。
「自分を助けてくれる人が周囲にいる」という感覚そのものが失われていく構造だったと考えることができる。
③ 「逆らったらどうなるか」を周囲に見せる
そして、恐怖を強めたと考えられるのが、逃亡した人物への対応だった。
実際に美代子らのもとから逃げた人物が存在した一方、その後発見され、再び虐待を受けたケースもあった。
角田健太郎について情状鑑定を行った臨床心理士は、健太郎が逃亡後に虐待される人々を何度も目撃したことで、角田家から逃げる意欲を失ったと分析している。
さらに、自分への被害を少なくするには、美代子の指示に従うことが最善の選択になっていたとの見方を法廷で示した。
これは非常に重要な点である。
必ずしも自分自身がその瞬間に暴力を受けていなくても、
「逆らった人間がどうなるのか」
を目の前で見ていれば、それ自体が行動を抑える要因になり得る。
④ 従うことで「安全な側」にいられる構造
一方で、美代子との関係には恐怖だけでは説明できない面もあった。
先ほどの情状鑑定では、健太郎について、美代子との生活にストレスを感じながらも、美代子に認められている限り自分の立場は安全だという感覚も持っていたと分析されている。
角田家の中に序列が存在し、美代子の機嫌を損ねた人物が標的になるのであれば、
美代子に逆らわないことは、自分が攻撃される側へ回らないための行動にもなり得る。
もちろん、すべての人物が同じ心理で従っていたと断定することはできない。
しかし少なくとも一部については、「恐怖」と同時に「従っていれば自分の立場を守れる」という関係が存在していたことが、法廷での鑑定からうかがえる。
⑤ 支配された人物が、別の人物を支配する側にも回る
そして、この事件をさらに複雑にしたのがここである。
美代子から影響を受けていた人物が、必ずしも被害を受けるだけの立場にとどまっていたわけではない。
仲島康司について神戸地裁は、美代子らに対して「従属的な立場」にあったことを認めながらも、角田家の一員として犯行の一端を担ったとして、美代子らとの共謀を認定した。
角田優太郎についても、起訴された5事件すべてについて美代子らとの共謀が認定されている。
さらに、2016年までに行われた親族7人の一審裁判では、神戸地裁が7人全員について美代子との共謀を認定した。
つまり、
支配される側と、加害する側が完全に分かれていたわけではなかった。
美代子の影響を受けながら、その人物自身が別の人間への加害に関与する。
そうなることで、集団内部の関係はさらに複雑になっていった。
一つの「特殊能力」で支配したわけではない
ここまでを整理すると、美代子による支配を一つの言葉だけで説明するのは難しい。
家族関係への介入。
身内同士の対立。
暴力への恐怖。
逃亡した人物への対応。
集団内部の序列と孤立。
そして、美代子に従うことで自分の立場を守ろうとする関係。
こうした複数の要素が重なった結果として、美代子を中心とする独特な人間関係が維持されていったと考える方が、裁判で明らかになった状況には近い。
だから、「角田美代子には人を洗脳する特殊な能力があった」と結論づける必要はない。
むしろ重要なのは、
「少なくともこの事件では、人間関係や置かれた環境が少しずつ変化する中で、逆らうことや離れることが難しくなっていった人物がいたことが、裁判での証言などからうかがえる。」
ということではないだろうか。
そして尼崎連続変死事件では、その変化が一対一の関係だけで終わらず、家族から家族へと広がっていったことが、この事件をより複雑なものにしている。
「家族乗っ取り」「洗脳」という言葉だけで説明してよいのか
尼崎連続変死事件について調べると、「家族乗っ取り」や「洗脳」といった言葉を目にすることがある。
確かに、事件で明らかになった状況を短い言葉で表そうとすれば、分かりやすい表現ではある。
しかし、ここまで裁判で語られた経緯を見てくると、それだけで事件全体を説明することには慎重であるべきだろう。
「洗脳されたから従った」だけでは説明できない
実際、角田瑠衣の裁判では、弁護側が、美代子の「マインドコントロール下にあった」と主張している。
瑠衣が17歳で角田家に取り込まれたことについては、神戸地裁もその影響を認めた。
しかし裁判所は、それだけを理由に瑠衣の責任を否定しなかった。
犯行時には「自分の判断で追従した面も小さくない」として、起訴されたすべての罪について美代子との共謀を認定し、懲役23年を言い渡している。
つまり裁判では、
美代子から強い影響を受けていたことと、
その人物自身が犯罪に関与した責任が、
別々の問題として検討されていた。
「支配された人=何も選べなかった人」でもない
仲島康司についても同じことがいえる。
神戸地裁は、美代子らとの関係では康司が「従属的な立場」にあったことを認めた。
その一方で、「角田家の一員として犯行の一端を担った」として、美代子らとの共謀を認定している。
角田三枝子、鄭頼太郎、角田健太郎の裁判でも、神戸地裁は美代子が「絶対的な存在」で、その意向に逆らうことが相当に困難だったことや、3人の関与が従属的だったことを量刑上考慮した。
それでも、それぞれの犯罪への関与について刑事責任は認定されている。
ここが、この事件の難しいところだと思う。
支配の影響を受けていたことと、自分自身の行為に責任を負うことは、必ずしも矛盾しない。
どちらか一方だけを見れば、この事件の人間関係を単純化してしまう。
「家族乗っ取り」も、ある日突然起きたわけではない
「家族乗っ取り」という言葉からは、美代子が外から家庭へ入り込み、ある瞬間に家族を支配下に置いたような印象を受けるかもしれない。
しかし、これまで見てきた皆吉家などの経緯は、もっと段階的だった。
家族の問題に美代子が介入する。
家族内部の対立が深まる。
一部の人物が美代子を中心とする集団へ入っていく。
集団内部に序列が生まれる。
逆らった人物や逃げた人物が標的となる。
そして、美代子から影響を受けていた人物自身が、別の人物への加害にも関与していく。
角田健太郎は法廷で、美代子について「恐怖で人を支配する人」だったと供述し、美代子の意に沿わない人物が虐待の対象になったとも語っている。これは健太郎自身の証言ではあるが、当時の関係を考える重要な材料の一つである。
「乗っ取られた」という結果だけを見ると、その途中で起きていた人間関係の変化が見えなくなってしまう。
支配は「する側」と「される側」だけではなかった
そして、この事件を特に複雑にしているのがここである。
美代子から支配的な影響を受けていた人物が、別の場面では加害する側にも回っていた。
裁判所は瑠衣について、若くして角田家へ取り込まれた影響を認めながら、自ら判断して追従した面も認定した。
康司についても、従属的な立場を認めながら共謀を認定した。
これは、
「美代子=支配者」
「それ以外の全員=何もできない被害者」
という単純な図では説明できないことを示している。
もちろん、だからといって美代子を中心に形成された支配的な関係を軽視してよいわけでもない。
裁判でも、美代子の意向に逆らうことが困難だった事情は、被告らの量刑を考える要素として実際に認められている。
「特殊な人たちの特殊な事件」で終わらせないために
「洗脳」という言葉を使えば、
「普通の人とは違う、特殊な心理状態にされたから起きた事件」
として理解したくなるかもしれない。
しかし、裁判で語られた具体的な経緯を一つずつ見ていくと、そこにあったのは魔法のようなものではない。
家族関係への介入。
暴力への恐怖。
集団内部の序列。
標的にされた人物の孤立。
逃亡した人物が再び連れ戻される経験。
そして、従うことで自分が標的になることを避けようとする関係。
そうした具体的な出来事の積み重ねによって、人間関係そのものが変化していった。
だからこの事件を理解するときに重要なのは、
「どうやって洗脳したのか」だけを問うことではなく、どうして人が逆らいにくく、離れにくい関係が作られていったのかを見ることではないだろうか。
「家族乗っ取り」や「洗脳」という言葉は、事件を知る入口にはなる。
しかし、その言葉だけでは、その内側で起きていた複雑な人間関係までは説明できない。
尼崎連続変死事件で見えてくるのは、一人の人物の「特殊な能力」ではなく、家族関係そのものが少しずつ変えられ、支配する側と支配される側、そして加害する側の境界まで複雑になっていった過程なのである。
まとめ
尼崎連続変死事件では、角田美代子の周囲で複数の人物が死亡し、もともとは別々だった家族の人々まで事件に巻き込まれていった。
事件を知ったとき、
「なぜ逃げなかったのか」
「なぜ家族まで加害に加わったのか」
「なぜ一人の人物に、これほど多くの人が従ったのか」
という疑問を持つかもしれない。
しかし、親族らの裁判で語られた経緯をたどると、それを「洗脳されたから」という一言だけで説明することは難しい。
そこにあったのは、家族関係への介入、暴力への恐怖、集団内部の序列、標的となった人物の孤立、逃亡した人物が連れ戻される経験など、複数の要素が重なった人間関係だった。
そして、この事件をさらに複雑にしているのは、美代子から強い影響を受けていた人物自身が、別の人物への加害にも関与していったことである。
裁判所は、一部の被告について美代子に逆らうことが難しかった事情や、従属的な立場にあったことを考慮した。
その一方で、それぞれが行った犯罪への責任まで否定したわけではない。
支配されていたことと、加害した責任を負うこと。
尼崎連続変死事件では、この二つが同じ人物の中に重なっていた。
だからこそ、「被害者」と「加害者」、「支配する側」と「支配される側」という単純な二つの立場だけでは、この事件を捉えきれないのだと思う。
そして、もう一つ忘れてはいけないことがある。
「少なくとも、裁判で語られた皆吉家の経緯では、家族関係の変化は段階的に進んでいる。」
裁判で語られた皆吉家の経緯を見ると、家族の問題に外部から介入があり、身内同士の関係が変化し、一部の人物が美代子を中心とする集団へ取り込まれていった。
その変化は、ある日突然起きたものではなかった。
人間関係が少しずつ変わり、逆らうことや離れることが難しくなっていった先に、事件があった。
「家族乗っ取り」や「洗脳」という言葉は、この事件を理解する入口にはなる。
しかし、その言葉だけで終わらせてしまえば、その内側で人間関係がどのように変化していったのかが見えなくなってしまう。
角田美代子に、人を自由に操るような「特殊な力」があったと考える必要はない。
むしろ考えるべきなのは、
人はどのような状況に置かれると、身近な人に助けを求めることさえ難しくなるのか。
そして、
本来なら人を守るはずの家族という関係が、なぜ別の形へ変わってしまったのか。
尼崎連続変死事件をたどることは、一人の人物の異常性だけを見ることではなく、人間関係の中で支配がどのように作られ、広がっていくのかを考えることでもあるのではないだろうか。
参考資料
本記事は、尼崎連続変死事件に関する裁判報道などをもとに作成しています。
・神戸新聞NEXT「尼崎連続変死事件 発覚4年超、最後の一審判決」
・神戸新聞NEXT「尼崎連続変死公判 瑠衣被告に懲役23年判決」
・神戸新聞NEXT「尼崎連続変死事件 康司被告に懲役15年判決 地裁」
・神戸新聞NEXT「尼崎連続変死事件 優太郎被告に懲役17年判決 地裁」
・神戸新聞NEXT「尼崎連続変死 美代子元被告との共謀、どう判断 親族3被告16日判決」
・神戸新聞NEXT「尼崎連続変死事件公判」関連報道
※角田美代子本人は2012年12月に死亡しており、一連の事件について本人の刑事裁判が最後まで行われたわけではありません。本記事では、親族らの裁判で認定された事実、法廷での証言、検察・弁護側の主張、報道で確認された内容をできる限り区別して記載しています。


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